こんにちは、スティップルです。
年内に制作部がクローズすることに伴い、会社を退社することになりました。
そんなわけで、自分が今までやってきた仕事をちょっとだけ振り返ってみようと思います。
どうかお付き合いくださいね(3回シリーズになります)。
ぼくスティップルは1983年大学4年の時にバイトとして十條に入り、
1984年に正社員となり、主にデザインを中心にやってきました。
当初よりいろいろな物件に携わってきましたが、
ぼくが最初に手がけた大きな仕事は1986年のこのステンドグラス。↓
まだまだ25歳の駆け出し、
葬祭場ということで、天と地のモチーフを上下に配し、
その間を虹で繋ぐというイメージでデザインしたように記憶しています。
ところが、クライアントへのプレゼン時、な、なんと、上下逆で採用になったんです・・・。
なんていうことでしょう、そんなことありかなあ〜〜、
と割り切れない気持ち半分、まあ採用になったからいいか半分、
複雑な思いで制作に入ったことを覚えています。
同じ頃、知り合いの音楽スタジオからステンドグラスの仕事をいただき、
デザイン&制作したのが、これ。
かなり個性尖ってます・・・。
スティップルさんの作品が欲しいので、どんなデザインでもOKとのことで、
とても有り難い仕事でした。↓
翌1987年に駅ビルの百貨店の吹抜け空間にデザインしたのが ↓
これはかなり大きい面積でしたね。
今では考えられないですが、贅沢にオパック系のアンティークガラスを全面に使用、
当時10人ほどいた女性パートの方と一緒になってワアワア言いながら制作したのは楽しかったなあ。
またこの頃、建築に使うのはまだまだ珍しかったフュージングの仕事もやりました。↓
短冊に切ったブルズアイのガラスを重ねて溶着、
その後カットソーで側面をウネウネにカットし別のパーツを乗せて再度溶着。
何百本というガラスタイルを作りましたが、これも大変な仕事でした・・・。
大手宿泊施設向けに12ヶ月の花をデザインしたステンドグラスを制作したのは、
その一年後の1989年。各月の花を選ぶのが結構難しく、
特に12月はなかなか見つからなくて、図鑑を探してようやくツワブキに決定、
その時初めてツワブキっていう花があるのを知りました ↓
グラシアムのHPにも載っているカジキのステンドグラスは1994年。↓
↓ のステンドグラスをデザインした時、元々カジキを入れて描いていたんですが、
カジキ無しのプランになってしまって・・・
でもいい雰囲気に仕上がりました。
同じ年、葬祭場向けにこんなステンドグラスも作りました。
今は亡きドイツ・フィッシャー社のブルー・バリゲイトが効いてますねえ! ↓
よく見るとこのステンドグラス、8分割になってますが全て異型。
当時はデジタル図面などなく、もちろん拡大もベニヤ型を頼りにしたアナログなもの。
作ったはいいが、ちゃんとラインが通るのか?心配になりながらの施工でした。
でも意外にうまく行ったんですよ。よかった、よかった
(写真左手前がぼくです)。
その頃、ステンドグラス以外の素材を使った仕事もやるようになり、
天然木を使ったのがこれ ↓
北海道の無垢板を使用したレリーフでとても柔らかみがありました。
子供たちの遊ぶ施設なんかにはぴったりでしたね。
また、変わった素材ということでは、キャストガラスをステンドグラスに組み込んだ物件とか ↓
この写真はほんの一部で全貌をお見せできないのが残念ですが、
幅60mのものが2箇所、つまり全長120mもの長さがあります
(1m50㎝角のパネルが80枚)、おお。
元々は、ちょっと変わったことがしたくて、
当時あまり見かけたことのなかったキャストガラスを使うことに
(キャストガラスとは、デザインに合わせて造形した凹凸のある砂型の上に、
板ガラスを乗せ溶着したもの)。
最初、ぼくの考えた架空の文字を並べたデザインを提案していたのですが、
クライアント側がそれを見て大いに盛り上がり、実際の古代マヤ文字で文章を繋げることを逆提案、
なのでマヤ文字わかる方なら文章読めるんです、
って、ほとんどそんな人いないと思うけど・・・。
で、施工の時の話。
この現場スケールが桁違いにデカく、ステンドグラスを施工するところもすご〜〜〜い吹抜空間、
高さ10mほどある移動式の足場に6人ほどが登って、取り付ける窓にその都度平行移動、
せーので窓に設置、でも揺れて揺れて、怖いのなんの、今ならあり得ない現場だったよなあ。
またこの施工期間中、岐阜の山奥に8人ほどでホテル宿泊、
でも何日か過ぎ作業が進むにつれ、人がちょっとずつ余ってくるので一人二人と名古屋に帰る。
1週間後の最終日にはとうとうぼく一人になってしまいました。
最終日の朝、現場の朝礼で一人するラジオ体操が寂しくって・・・。
1997年から数年間は様々なパブリックな仕事がありました。 ↓
これは国際交流会館に入るステンドグラスだったので、
世界地図をモチーフにし、陸地はあえて透明(面取ガラス)とし、
何色にも染まらない人と人の繋がりを「One World」として表現しました。
同じ時期、名古屋に初のドームが完成。
そのプレミアムシートの壁面に飾る12枚のイラストの仕事なんかもやったなあ、
野球をテーマに一筆の勢いで熱情を表現する、みたいな依頼でした。 ↓
他にも公の仕事で、こんなのや ↓
こんなの ↓
また異素材で、木と陶板を使ったレリーフとか ↓
我が家にステンドグラスを作ったのもこの頃でした ↓
次回へ続きます。