自分の仕事を振り返ってみる 2

こんにちは、スティップルです。

10/14に続いて2回目です。

 

2000年頃の話ですが、突然大きな小児病院に壁画を描くという

ステンドグラスとは全く方向の違う仕事が舞い込みました。

 

 

 

それも壁面の箇所数は30以上、

現場での作業時間は3ヶ月以上かかるようなヴォリュームでした。

 

事前の打合せも2年以上かかり、

様々な関係者から容赦なく(本当に容赦なく!)、

キャラ決定からストーリー、絵柄まで厳し過ぎる注文をいただき、

ヘロヘロになりながらデザインとプレゼンを繰り返しました。

 

毎日毎日色鉛筆でデザイン原画を描くのですが、

繊細なグラデーションで丁寧に色付けをしていくので、

時間がめちゃくちゃかかり、なかなか進みません。

 

それがデザイン修正の度に30枚以上です。

今ならPCを使って描画できますし、修正部分もその箇所だけ描き直して差し替えればOKですが、

当時はアナログ(手書き)でやっていたので、修正の都度描き直しです。

打合せが2週間に一度なので、2週間ごとにその作業は繰り返します。

 

やがて色鉛筆を握っていた右手はパンパンになり、右肩はついに上がらなくなってしまいました。

休みの度にマッサージに通ってましたねえ、その頃は。

で、何とか完成したのがこれらです(もちろんほんの一部だけの紹介ですが)。 ↓

 

 

 

 

 

身体を壊しつつやった根性のプレゼンと、

現場での口に言えないような劣悪環境での作業の末、

30箇所以上の壁画がどうにかこうにか完成。

今ではあり得ない超パワハラな所長に完成の報告をし、

その後その建物が見える近くの丘に一人立ち、

「やってやったぜえ、ウォオー!」と心の中で叫んだことをよく覚えています。

 

ただそんなことは置いておいても、

2001年当時の日本ではまだほとんど事例のなかった

入院している子供達に寄り添った優しい病院環境になったんじゃないかと思っています。

 

そしてその甲斐もあってか、その後2期工事、3期工事、増築工事、改装工事と

2015年まで仕事をさせていただくことができました。

 

 

 

 

そう言えば、改装工事の時こんなことがありました。

病院廊下で絵を描いていたら、廊下の右側からバタバタとした大きな音が聞こえました。

絵を描いているので首をそちらに向けられません。

でも気配でこっちにやってくるストレッチャーだとわかりました。

ぼくの背後を通り際、緊迫したお母さん、看護師さん、担当の先生に囲まれながら

ストレッチャーに横たわった子供さんの顔がちらっと見え、

廊下の左へさっと消えていきました。

 

日常的にこんなことが起こっているんだ。

何も声をかけられませんでしたが、

手術がうまくいくように祈らずには要られませんでした。

ここの病院の子供さん達は皆それぞれ重い病と戦っている。

何の役にも立てないかもしれないけど、ほんのちょっとだけでも、

描いた絵が癒しになれば・・・。

そんな思いで、自分の身が引き締まるのを感じた瞬間でした。

 

 

また、そんな壁画の仕事もやりつつ、

もちろんステンドグラスの仕事もいろいろやっていました ↓

 

 

 

手作り仕掛時計とかも ↓

 

 

これは、まず仕掛時計を手作りで作っている工房を探し出し、

そのスタッフの方といろいろ話をしながら、

どことどこを連動させたら面白いか、

仕掛けの方法を協議しながらのデザイン作業になりました。

初めてのことばかりでしたが、とても勉強になりました。

 

 

 

他、2008年には十條大須ビルリニューアル工事のステンドグラスを ↓

 

 

 

 

 

他にも住宅向けというか一般向けの優しいイメージのステンドグラスとか

毎日たくさんデザインをさせていただきました。 ↓

 

 

 

 

 

 

でも、住宅向けの物件の中で最大の印象的な仕事だったのは、

フュージング・モザイクをステンドグラスに組み込んだこの仕事ですね

2020年のことでした ↓

 

 

 

オーナーの方がとてもご理解のある方で、

こちらの提案をポジティブに捉えて評価してくださいました。

そのお陰で、フュージング・モザイクを大きく入れて、

従来のステンドグラスとは少しテイストの違う

クールなステンドグラスが出来上がったと思います。

 

3へ続きます。

 

 

 

 

 

 

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